演奏家として、また音楽の講師としての発信が少ないまま日々が経ってしまった。
昔から日記を書くのが苦手だったので、ブログを書くなんて中々私には難しい。
ましてや現在進行形のことを書き留めるのも余程余裕がないと書き留められないだろう…。
しかし時々こんなことがあったな、と自分へのメモがわりに、またそれを私のことを知る人に共有できたらと回想録的に書いてみようと思い、書いてみる。
いざ書き始めると、自分の記憶が案外曖昧だったことに気が付く…今後の老化防止にも良いかもしれない…
タイトルにあるように、回想録の最初は本帰国した後に出会ったビッグな方との出会いの話。
帰国後1年弱が経つ頃の2019年8月末、寺神戸亮先生のマネージャーさん(小崎紘一氏。コンサートイマジン)から一通のメールを頂いた。
足利のワイナリーの収穫祭で無伴奏チェロの演奏依頼だった。
イベントにはワイナリーの理事である古澤巖さんも演奏にいらっしゃいます、と伺った。
古澤巖さんといえば、私が高校の時に彼のグループ『タイフーン』のラストコンサートにオーチャードホールに聴きに行った。同級生の白井圭氏(今やN響のコンマス)に誘われて。
ちなみにその時の同行者は芸大附属高校時代に一番室内楽をやっていた仲間。渡辺弘子(ヴァイオリン)、小峰航一(京響首席ヴィオラ)、後藤彩子(ヴィオラ)。
むちゃくちゃカッコいい舞台だった。終演後に楽屋口で記念写真を撮って頂いた。
帰宅後チケットが高かったことを母親に怒られた覚えもある。
さて、イベントは土日の二日間で、両日とも私は朝イチの出番で、古澤さんはラスト。私は午後に予定もあったので演奏したら早々に帰宅する予定だったが
彼は朝から会場に姿を見せ、初めまして、と私は挨拶をした。
挨拶の時は薄い反応感じたが、私がバロック弓を持っているのを見て、彼はそれに興味を示していた。
「なんでバッハなんか弾いているのか」
と質問されて(地味だとも言われた気がする)
「無伴奏チェロのオーダーなんです」
と伝えると、
「普段出来ないことをやらないと。なんでもやっていい舞台なんだよ」
こんなことを言われたので演奏後、小崎マネージャーに曲目変更の申請をして、帰宅してレッスンを済ませた後、
ヴィオラ・ダ・ガンバや、趣味で始めたハーディーガーディの準備をして
足利のホテルに戻った。
初日か2日目か定かではないが、古澤さんに
「その弓はどこで売っているんですか」
と質問されて私は
「店では売っていないんです。メーカー紹介しましょうか」
と伝えた事がきっかけで、弓を見に?私の演奏を風で倒れそうなテントの柱おさえながら近くで聴いて下さった。その時の写真だ…なんともいえない緊張。
バッハを一曲だけ弾いて、テレマンのガンバのためのファンタジーやハーディーガーディの教本から作品を少し演奏した。
演奏後に偶々持っていた名刺を渡して、もしご興味あれば連絡下さいと言って帰宅した。
そうそう、私と出会うまで古澤さんはしばらくの間チェロの弓でヴァイオリンを演奏していたのだ。
この二日間は、ジャズで有名な坂田明さん、タレントの勝俣州和さんにもお会いした。素敵な方々だった。
しかし私はテレビを持っておらず、ホテルに泊まっても見ないので、彼らの活動をあまり知らない…
心残りは古澤さんのステージを見れなかった事だ。しかし受験を控えている弟子のレッスンもしなきゃ。
こんな感じの出会いだった。私には『再会』だったのだが…
数日後、古澤氏からメールを頂いた。
「チェロ弓を注文したく」
ヴァイオリンの弓を注文しましょうよ…
そして2020年年明け早々、メーカーのところにお連れするのであった。
続く
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